「大山公園由来碑」より
「太平山、金剛山、鳥打山をあわせて大山公園という。
太平山には三吉神社、金剛山には古峰神社が祀られ、その境の空堀には大古橋がかけられている。空堀は大浦城の遺跡である。金剛山の西は新山森といい、鳥打山に続く。
天文年間(16世紀前半)大宝寺(鶴岡)から大浦(大山)に移った武藤氏がここに大浦城を築いたので、城山ともいう。嘉永元年(1848)大山村の田中政春が、大山騒動に対する幕府の重い処罰から免れたことを、三吉大神に感謝して、城山に八百余本の桜・桃の木を植えたのが、城山への桜植樹の最初である。その後、慶応三年(1867)前庄内藩主酒井忠発が、大庄屋佐藤順太に命じて大山組村々から桜を買上げて植付けさせ、以来城山は桜の名所となった。
昭和の初め不況が続き、酒造家加藤嘉八郎有邦は大山町民の救済と将来の人々の行楽の地にあてるため、昭和八年(1933)ここに自費をもって一大公園を造る工事を起し同十五年に完工した。園内には紅葉が丘、南桜ヶ丘、松が崎納涼所、旭台桜ヶ丘、つつじヶ丘、鶯谷、北桜ヶ丘、旭台の八景が配され、それぞれの眺望を楽しめる。加藤氏はここを加嘉山公園と名付け、訪客への園主の挨拶の意をこめて自らの石像をたてた。昭和18年公園は古峯神社・三吉神社に寄付され、その後大山公園と改称、昭和25年度山形新聞社主催観光山形県一自慢投票では、第1位に当選した。
今大山公園は、鶴岡市で管理され、東京尾浦会より二万二千本余の桜・つつじ等苗木をいただくなど補植樹に努め、隣接する高舘山休養林と共に、人々の散策や行楽の地となっている。」